水のいのち 作曲者 高田三郎の解説

あのころ私は既に、この組曲《水のいのち》の中の<海>を書き上げていた。
(これについては私は随筆集『くいなは飛ばずに』の中の「ある出会い」に相当詳しく書いている)。
そんなある日、TBS放送局から中西さんが来られ、私に芸術祭番組の合唱組曲の作曲委嘱に
ついての申し入れがあり、私は「この<海>を入れ、あとの楽章についても私の考えどおりにしてよければ」
と答えたのであった。中西さんはすぐ局に戻り、その日のうちに折り返して「その条件で」との電話があり、
こうしてこの作曲は出発したのであった。
当時、電車の駅やホームの壁に張り付けられた映画のポスターなどは、まことに目に余るものがあった。
肉体というものをあのように露骨にさげすみ、低劣、低俗なものとして扱い、それがまたあのように氾濫し、
当たり前のことになっているのを、ただ顔をそむけているだけでよいのかと私は思った。
ひとりの力は小さくとも、ただひとりでも、これに対抗しようと思ったのである。
人の肉体はよいものであり、もっともっと大切にされなければならないのであるが、人にはまた精神という
ものもあり、その精神が賛成しているのでなければどのような生き方をしても、人はそれに満足することはできない。
その「精神」に目と心を向けてもらうために、この<海>を含む合唱組曲を書こう、と私は決めたのであり、
あの時TBSに了承を得たのもこのことを想定しているのであったのだ。
まず、私は高野喜久雄さんに電話し、私の考えを話し、彼の詩集『存在』の中から、すでに狙いをつけていた
<水たまり>と<川>を「読む詩」から「きいてわかる詩」になおしてもらうことを頼んだのであった。
それらが送られて来、そして作曲を了えたのち、第一曲<雨>を、そしてそれも了えたのち、終曲のための
長い詩<海よ>を書いてもらうという順序で選んでいったのである。

第一曲<雨>

第一曲<雨>は「降りしきれ 雨よ」と始められる。そして「すべて立ちすくむものの上に」と。
私たちはこの世で、いったい何度立ちすくむことだろう。今年もまた目指す学校の入試の発表に名前の出て
いなかった娘。昨日から家に帰ってこない息子。旅行先で交通事故に遭った夫の重体の知らせ。
わたしたちはその度に断崖の突端に立たされ、目の前が真っ暗になってしまうのではないだろうか。
「また横たわるものの上に」と続く。それは何という安らかさ。全く安らかに眠っている人。
そして「すべて許し合うものの上に」と。許し合うことこそ平和の始まりであり、「一日のうちに七回の七十倍許せ」
と聖書にも書いてある。
しかし、しれでもなお且つ、人はどうしても許すことのできない相手を持っていたりもするのではないだろうか。
詩は続いている。「また、許しあえぬものの上に」と。
私たちが「降りしきれ 雨よ」と歌うのは、歌っている私たちの上に、ではなく、「これらすべて立ちすくみ、許し合い
また許し合えぬ人びとの上に、恵みの雨よ」との願いをこめながら歌い始めるのである。そして、涸れた井戸も、
踏まれた芝生も、こときれた梢も、なお、ふみ耐える根も、すべてそのもの自体に返されることができるようにと。

第二曲<水たまり>

どこにでもある、そして、やがて消え失せてゆく水たまりが「わたしたちに肖ている」と気付いた時、私たちは胸を
突かれる思いを持つ。水たまりに過ぎない私たちの深さ、それは泥の深さでしかないし、私たちのちぎり(約束)も、
それを受け入れるうなずきも、そして、まどい(団欒)もみな泥と泥との間のことでしかないのだ。
しかしまた、その水たまりが青い空を、その小さい水面に映しているのに気付き、「私たちの小さな心もまた」と思うのである。
ついでながら、この詩に出てくる右記の「やまとことば」の『ちぎり』あるいは『まどい』などを私たちは大切にしたいものである。
これらこそ、聞いてわかる、そして詩情に満ちた美しいことばだからである。

第三曲<川>

「何故、さかのぼれないか? 何故 低い方へ?」それは川にであると同時に、私たち自身への詰問でもあるのだ。
そして、太い旋律線が生き生きと流れて行く。豊かな、そして透きとおった水をたたえた川のように。よどむ淵も、
渦もいらだっているようだ。川がこがれているのは山であり、その切り立つ峰であり、その彼方の青い空なのだ。
川底の石も水の流れに作用されて上流へと転がりのぼり、魚も力強く水中をさかのぼっていく。
それら、川上へのぼろうとするものすべてをみごもっている川が何であるかと尋ねることはもういらない。
それは私自身なのだ、と繰り返してこの楽章は結ばれる。

第四曲<海>

ピアノの音とともに始まるハミングの大波小波は、終始私たちに「見なさい これを見なさい」といい続けているようである。
「人でさえ行けなくなれば そなたをさしてゆく。そなたの中のひとりの母を」と続く。
最後の波の音「見なさい」は、大波が人類全体に詰問しているように歌うべきなのではないだろうか。

第五曲<海よ>

すべて受け入れる大きな海、うまず繰り返す無限の海、その海の中の光るものを求めて私たちは海の月(くらげ)、
海の星(ひとで)、真珠を抱くあこや貝、そして暗い深海におけるプランクトンの死骸の堆積によってできた真白な
マリンスノーの、上へ向かって立ち昇りに出会うのである。
たえまない始まりである海は、空の高みへの始まりなのだ。「のぼれ のぼりゆけ」と私たちが歌う時、のぼりゆく
「水のこがれ 水のいのち」が、歌う人、聞く人を包み込んでくれるであろうか。



この《水のいのち》を、これらの楽章の配列から、「水の一生」と考える人が多いようである。
英訳すれば"The Life of Water"である。しかし私は、この題のほんとうの訳は"The Soul of Water"と思っている。
"Soul"すなわち「魂」とは「それがあれば生きているが、それを失えば死んでしまうもの」なのである。
そして、水の「魂」とは、低い方へ流れていく性質のことではなくて、反対に「水たまり」は「空を映そうとし」、
「川」は「空にこがれるいのち」なのであって、それはまた、私たちの「いのち」でもあり、この組曲の主題でもあるのだ。
こう考える時私は、同じ詩人の「蝋燭」という詩のなかの二行「焔はなぜ天を指しつつ、焔はなぜ下へと燃えうつるのか」
を思い出さずにはいられない。揺れる焔となって自らを燃やしながら刻一刻自らの影に近付き、やがて燃え尽きる蝋燭の
その焔は、かつて横を指したことも、下を指したこともなく、遂に燃え尽きる最後の瞬間まで天を指し続けるのである。
そしてそれこそは「水のいのち」であり、私たちの心のすがたでもあるのではないだろうか。
この作品は、1964年11月10日、合唱・日本合唱教会、指揮・山田和男(一雄)により、TBSから放送初演されたが
その二日後、作曲家の清水脩さんから手紙をもらった。彼はそのころカワイ楽譜の社長でもあり、その中には「この作品は
是非カワイで出版したい」という強い要請が書かれてあった。そしてまたその二、三日ののちには、同じ社の遠藤治さんが
来られるという速い事の運びが続いていった。楽譜はこのようにして出版されたが、宣伝らしいことは、どこでも、誰にも全く
してもらわないまま数年を出でずして北海道から沖縄までひろく歌われるようになっていった。
それはただ、この曲を歌いたいと望んだたくさんのコーラス・メンバーと、ききたいと望んだたくさんの聴衆によってであった。
楽譜はカワイ出版に受け継がれ、混声、女声、男声と合わせると、重版数は1996年11月現在、通算177となる。
カワイの上野部長によれば「日本における楽譜の安易なコピーの習慣を加算すれば、実際はこの10倍」とのことであった。
日本では、事を決めるのに自分でではなく、他社に決めてもらうことが多い。音楽などは、作曲も演奏もほとんど欧米における
評判によって決まっているようだ。しかしこの《水のいのち》の評価については、はっきり日本人自身が決めてくれた。
これは私にとっても、日本人全体にとってもうれしいいことと思うのである。
この曲を書く決心をした時は、笑い者にされるのは覚悟していたことだった。「時代錯誤」「ご清潔」「堅物」などと。
しかし何を忍んでもやろうと決心してとりかかっただけに、その後の成りゆきは私にとって驚きの連続であった。
ともあれ、このような内容の曲は、世界中に今も昔もない。解りやすい詩とは全くいえないし、楽しい音楽では決してない。
「あの人たちは、私と同じことを望んでいてくれるのだ」と自分にいいきかせてはいるが、やはり、私は今も驚いたままでいる。
録音は数多く出ているが、ここのはその中で、私自身の指揮によるものだけにとどめることをご了承願いたい。
CDがビクターから、混声(VDR5071)と女声(VDR5195)が、キング(KICG3015)からも出されている。




   記  高田三郎氏は 2000年10月22日 帰天されました。